飛行機の世界へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/11 21:44 UTC 版)
1906年8月、トム・ボールドウィンと連れ立って出かけた飛行船旅行でオハイオ州デイトン市を訪れた際、ライト兄弟を訪問して航空エンジンとプロペラについての意見を交換し合った。1907年にはグレアム・ベルに請われてAEA (Aerial Experiment Association-飛行実験協会)設立に加わった。これはカーチスが既にアメリカで最も洗練された小型軽量エンジンを製作していたためであった。 1908年7月4日にはカーチス製作による飛行機「ジューン・バグ」が彼の生誕地であるハモンズポートで飛行に成功した。こうしてカーチスは動力つき航空機で空を飛んだ2人目のアメリカ人となったのだが、当時ライト兄弟の初フライトや飛行テストは非公式扱いであったため、彼と「ジューン・バグ」が公認されたアメリカ初飛行となった。彼はアメリカ飛行機クラブからパイロットのライセンスを受けた第1号となった(ライト兄弟は4~5番目)。
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