風穴小屋について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 06:16 UTC 版)
昔はこの風穴の場所には風穴小屋があり、天然のクーラーとして主に農作物の保管などに利用されていた。この風穴小屋を最初に作り風穴を利用したのは佐々木耕治で「風穴王」とも呼ばれていた。1号倉庫近くには佐々木耕治の顕彰碑が建っている。佐々木耕治は大正13年、県知事に保存に対する申請を行っている。 この風穴は長い間「化け物屋敷」と呼ばれていたが、天然の冷蔵庫として注目したのが由利郡大内町出身の佐々木耕治であった。明治35年から9年間、温度測定をするなど風穴の解明と利用方法を研究し、明治45年に倉庫を建設して農作物の貯蔵を可能にした。低温技術の無かった時代に、風穴倉庫は7棟作られ、リンゴの貯蔵量が1万箱(約200t)ほどに達した。 その後、同行者も多くなり20余の冷蔵庫が建てられた。冷蔵庫は多くは屋根だけを地上に出して周囲を石垣で囲って、天井をのこぎりクズで覆い、勾配を急にして日光と外気の影響を少なくしたものであった。貯蔵されていたものは、リンゴ、蚕種、農産物、種子であった。
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