風流としての標本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 01:23 UTC 版)
乾隆59年(西暦1794年)頃、沈復の『浮生六記』に次のような記述がある。 私は閑居している時には、机上に花瓶を絶やした事がなかった。ある時、芸が私に「あなたの挿し花は、天候の変化によく気が配られており、その点では入神の技だと言えるでしょう。ところで、画の方では、草のあるところに必ず虫がいる事になっていますが、あなたの挿し花にはどうして虫がいないのでしょう?」と言った。 私は、「虫は動いてやまぬものだから、画のような訳にはいかないよ」と答えた。 すると芸は、「それには一つよい方法があるんだけど、少々殺生なのでね」と言う。 私は「方法? どんな?」と聞き返した。 芸は「虫は死んでも色が変わらないでしょう。だから、蟷螂なり、蝉なり、蝶なりを捕まえてきて、針で刺し殺し、絹糸で首のところを花の枝に括りつけ、足を、茎を抱き葉を踏んまえているようなふうに整えておけば、いかにも生きているように見えるでしょう。どうです、素晴らしい考えではありませんか?」と言った。 私は、喜んで、言われた通りにしてみた。すると、見る人ことごとくが口を極めてこれを褒めた。 これは、ジオラマ標本である。博物館のそれは、生態を再現するのが目的であるが、これは活け花とともに風流として楽しむ点が異なる。
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