須々木
須々木
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/21 05:13 UTC 版)
地理
- 周囲を大沢、落居、鬼女新田、菅ケ谷、波津、御前崎市上朝比奈、上比木と隣接している[1]。
- 北部の「原」地域は牧之原台地の一部である[2]。
- 南部は海に面し、須々木海岸を有し、一ヶ所の堤防がある。
- 南北に二級河川の須々木川が流れている。
歴史
周辺状況
奈良時代から中世にかけては相良荘[3]、平安時代中期以降は相良牧の一部であった[3]。平安時代後期には相良氏が台頭する[3]。
江戸時代の時点では、鬼女新田は須々木村の一部だった[4]。1718年(享保3年)の時点で鬼女新田は須々木村とは別の村となっている[5]。
沿革
行政
自治会は牧之原市内に25区ある区分の中の一つ、「須々木区」がある。須々木区内に27の班が存在する[9]。
小字
- 地代
- 前浜
- 深澤
- 小名ヶ谷
- 須々木原
交通
- 路線バス:しずてつジャストライン
- 国道150号(本道・バイパス)
1968年(昭和43年)8月22日までは、静岡鉄道駿遠線の須々木駅が存在していた。
人口
- 1122人(世帯数427。2024年3月31日時点)[10]
経済
文化
教育
- 認定こども園すすき幼稚園
- あおぞら保育園
公共施設
- 牧之原市相良総合センターい〜ら
- 須々木グラウンド
社寺
- 鹿島神社
- 海雲寺
- 善明院
- 巨海観音
伝統民芸
祭り
文化財
- 牧之原市指定有形文化財
- 海雲寺文書 2点
- 鹿島神社本殿
- 静岡県指定天然記念物
脚注
- ^ 相良町史通史上巻, p. 458.
- ^ “さらに詳しく 牧之原台地の開拓と茶”. 関東農政局 (2010年). 2011年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年10月21日閲覧。
- ^ a b c “牧之原市の歴史”. 牧之原市 (2019年11月7日). 2025年10月21日閲覧。
- ^ 川原崎鬼山「鬼女という村名」『民間伝承』第20巻第6号、秋田書店、1956年6月、30頁、doi:10.11501/2264412、ISSN 0288-528X、2025年10月21日閲覧。
- ^ 編年相良町史, p. 147.
- ^ 相良町史資料近現代, p. 6.
- ^ 相良町史資料近現代, p. 38.
- ^ “合併協定書”. 相模町・榛原町合併協議会 (2005年11月5日). 2006年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年10月21日閲覧。 “字名は、原則として現行のとおりとする。”
- ^ “自治会”. 牧之原市 (2010年). 2012年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年10月21日閲覧。
- ^ “令和6年度統計書” (pdf). 2025年10月21日閲覧。
- ^ 相良町史通史下巻, p. 703.
参考文献
- 相良町 編『相良町史 通史編 上巻』相良町、1993年8月。
- 相良町 編『相良町史 資料編 近現代』相良町、1995年3月。
- 相良町 編『相良町史 通史編 下巻』相良町、1996年5月。
- 川原崎次郎『編年相良町史』相良町教育委員会、1996年。
須々木(すすき)
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「ああっ女神さまっの登場人物」の記事における「須々木(すすき)」の解説
骨董部部長。骨董品に対する思いが人一倍大きく、独自の価値観を持っている。
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