音羽町成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 14:34 UTC 版)
1950年代、全国的に市町村合併が進められた(昭和の大合併)。宝飯郡でも町村合併の機運が高まり、愛知県町村合併促進審議会は赤坂町、御油町、長沢村、萩村の2町2村による合併案を提示した。 上記2町2村は1953年8月に宝北自治研究会を設立(翌年11月、宝北町村合併研究会に改称)して協議を重ねたが、御油町内には豊川市との合併を望む声があり、容易に結論は出なかった。結局、1955年2月25日に御油町を除く1町2村のみで合併協議会を設立し、およそ1か月後の4月1日、正式に合併して「音羽町」となった。初代町長には、旧長沢村長の渡邊隆次が就任した。 新町成立後も、音羽町は御油町に合併を呼び掛け、「合併実現の暁には、新町の名称を御油町としてもよい」とまで譲歩した。しかし住民投票の結果、合併相手として豊川市を希望する票が音羽町を希望する票を上回ったため、御油町は豊川市との合併を選択した。
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