非プロテスタント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 09:50 UTC 版)
ローマの教皇を中心とするカトリック教会はトリエント公会議でプロテスタントの義認の教理を否定し、義認が過程であるとする。 ここにあるのは「信仰」「善行」「義認」をめぐるそれぞれの理解の衝突である。行為と善行を対立させるルターの解釈については、カトリック教会や東方正教会の論者からは、以下のような反論がなされてきた。曰く、善行が単独で救いをもたらすと説いているのではなく、信仰と善行が救いをもたらすのである、真の信仰は主観的な信仰ではなく必ず善行をともなわずにはおかないなどである。神からの働きかけに人間が応えることが既にシネルギイ(ギリシア語: συνεργία、ロシア語: Синергия、神の力と人の力との共同)の始まりであるとする。 「共働」および「ドシセオス2世 (エルサレム総主教)」も参照 一方で、ルターの『奴隷意志論』の堕落し腐敗した人間が罪を犯すことしか出来ないという理解からすれば、真に善行といいうるのは、自分が神の救済を受けたいというようなレベルをすら超えて純粋な愛からなされうる行為のみである。そのような行為は、神の恩寵のうちにのみ可能であろう。そのとき善行は義認の原因ではなく結果としてのみ可能であり、「善行に拠る義認」という事態は存立し得ない。すなわちルターが著した「善きわざについて」において、信仰はその果実として善行を必ず産む、としている。しかし、結果としては、善行と信仰の必然的な結びつきをすべての論者は共有しつつ、しかしその結びつきのあり方をめぐって、かみ合わない議論が展開されてきたといえる。
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