青い目の人形 「リトル・メリー」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/16 09:31 UTC 版)
「島原市立第一小学校」の記事における「青い目の人形 「リトル・メリー」」の解説
青い目の人形も参照。 1927年(昭和2年)3月に日米の対立を懸念し、その緊張を文化的に和らげようと、米国人宣教師のシドニー・ギューリック博士(1860年 – 1945年)の提唱により親善活動がおこなわれた。その一環として、渋沢栄一の仲介で米国から日本の子供に12,739体の「青い目の人形」が贈られ、その返礼として「答礼人形」と呼ばれる市松人形58体が同年11月に日本から米国に贈られた。島原第一尋常高等小学校に贈られた人形は、目が開閉し体を起こすと「ママ」と泣くような仕掛けがなされていた。 その後、日米関係が悪化し、太平洋戦争が勃発すると、日本全国で青い目の人形のほとんどが敵国の人形という理由で焼却・破壊されたが、島原市立第一小学校に贈られた人形は破却を免れ、1984年(昭和59年)に、昭和10年~12年卒業生より寄贈された雛人形収納庫の中から再発見された上で「リトル・メリー」の名前が付けられ、現在では心鏡館に保管・展示されている。 現在、日本国内に残っている青い目の人形は約300体で、長崎県内には島原市立第一小学校を含め2体しかない。
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