雨だれは目を閉じてから落つるなり
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出 典 |
君なら蝶に |
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評 言 |
新聞記者だった作者は、筋萎縮性例索硬化症という難病にかかり、全身の筋肉が不随となり歩行不能に加え、声も出せない状態が何年も続いた。さらに病いの進行によって呼吸困難のため、人工呼吸器をつけ闘病しながら妻の助けを借りて句作を続けた。句集には哀切きわまりない作品が並ぶ。 春暁や足で泪のぬぐえざる つひに足も萎え果てゆくか雨の秋 足の親指だけが動き、それでワープロを打って意志を通わしていたころと、病状が進行したときの句。 微笑が妻の慟哭 雪しんしん 帰る雁泪しおるや振りむかず ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう 折笠美秋は明晰な俳句観をバックボーンにして、戦略的な言語表現をめざした俳人である。その結果として自立した詩的リアリティを得た、と言えようか。 中で掲句の心に秘めた深沈寡黙のつくりに注目したい。なんの予備知識もなく読めば、その静謐さは認められようが、やや散文的で無季であることから(それを認めない立場からは)見過されるかも知れない。しかし上五「雨だれ」の後に永劫の刻を思わせる空間の広がりが感じられる。それが説明的な中七の閉じて「から」、下五の落つる「なり」と静かに読み下され、雨だれそのものがいっさいの条件を超越した存在としてとらえられている。 |
評 者 |
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備 考 |
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