雑誌『アウフバウ(Aufbau)』
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「東ドイツ文化連盟」の記事における「雑誌『アウフバウ(Aufbau)』」の解説
文化連盟は、1945年9月に冊子『アウフバウ - 文化政策月刊誌(ドイツ語版)』を発刊し、1958年7月までに、急激な発行部数の増加を見せた。1945年には2万部だったのが、1946年には15万部となった。最初の編集長は、後に文化省大臣となるクラウス・ギジ(ドイツ語版)であり、1949年からはボード・ウーゼ(ドイツ語版)。第1号に寄稿した著者は、ギュンター・ヴァイゼンボルン(ドイツ語版)、ルカーチ・ジェルジ、ヴァルター・シュリマー(Walter Schirmer)、エルンスト・ニーキッシュ(ドイツ語版)などである。雑誌はアウフバウ出版(ドイツ語版)で出版され、1946年に新聞「ゾンターク」と、情報誌『討論(Die Aussprache)』が発刊した。文化連盟の委員会のなかには、独自に著作を出版することもあった。 西側の主要国が、翻訳権を与えないことで、ドイツ語版を出版させないことを非難している。ソ連だけが、臨機応変に融通を聞かせてくれたので、アウフバウ出版社の最初の刊行物は、ゴーリキー、ツルゲーネフ、プーシキン、トルストイの翻訳であった。1947年10月8日にアメリカ軍政府が、1947年11月12日にはイギリス軍政府が、占領地域内での文化連盟の活動を禁止した。
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