雑誌「警監之友」発行
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「ハンナ・リデル」の記事における「雑誌「警監之友」発行」の解説
リデルはCMSへ辞表を出した後、長安寺の居を引きはらって熊本市新屋敷に新居を構えたのは1898年であった。その後、屋敷に泥棒が入ったのを切っ掛けとして警察官および監獄官吏の人格向上、宗教心を涵養せしめる「警監之友」(Police and Warders' Friend)を知り、別の人が発行していたが、その本部を東京から熊本へ移した。その時期は1902年である。その内容は、精神修養・法律・英語会話であった。主幹はリデルで、精神修養はリデルが筆をとり、法律は専門家を煩わせたが、英語会話は最初第5高等学校の木村教授が担当し、その後、遠山参良教授が担当した。このリデルの事業は今日の免囚保護事業の先駆をなすものであった。日本全国で1400部ほど出回っていた。読者からのエッセイもあった。当時は日露戦争で捕虜が日本で歓待されている話題もあった。
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