隣接国への連絡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 09:50 UTC 版)
「バーデン大公国邦有鉄道」の記事における「隣接国への連絡」の解説
バーデン本線の建設中でも、既にスイスの鉄道網との接続計画が策定されていた。これはヴァルツフートでライン川にかかるロベルト・ゲルヴィヒ(ドイツ語版)の手による鉄道橋が1859年8月18日に開通したことで実現した。さらに1863年にはシャフハウゼンで、1871年にはコンスタンツで、1875年にはジンゲン(ドイツ語版)でも接続された。ライン川の東岸にあるバーデン大公国邦有鉄道側のバーゼル・バーディッシャー駅と、ライン川の西岸にあるバーゼル中央駅を結ぶバーゼル連絡線(ドイツ語版)は1873年に開通した。こんにちではこの路線は、ドイツとスイスを結ぶもっとも重要な接続路線となっている。 北方のヴァインハイム - ダルムシュタット - フランクフルト・アム・マイン方面への連絡は、バーデン大公国邦有鉄道も運営に参画するマイン-ネッカー線によって1846年に実現した。1879年にはリート線も開通したが、バーデン大公国邦有鉄道はこの路線については保有していなかった。 1861年には、ケールとストラスブールの間でライン川に架かる橋が完成して、フランスとも直接結ばれた。プファルツ地方への開通は1865年にカールスルーエとマックスアウの間の舟橋を利用して実現し、またマンハイムとルートヴィヒスハーフェンの間も1867年に開通した。バイエルン王国との接続も、オーデンヴァルト線の開通により1866年に実現した。 ヴュルテンベルクとは、ドイツとアルプス山脈の峠を結ぶ交通需要の誘致を争っていた関係で、双方を結ぶ路線の交渉はとても難航することになった。バーデン側はプフォルツハイムを経由する路線を望んだのに対して、ヴュルテンベルクはより直接的にブルッフザールへ通じる路線を望んだ。1850年12月4日の条約により最終的に、ヴュルテンベルクはシュトゥットガルト - ミュールアッカー - ブレッテン(ドイツ語版) - ブルッフザールを直接結ぶヴュルテンベルク西線をバーデン領内でも建設する権利を得る一方で、バーデンは一部でヴュルテンベルク領内を通過するカールスルーエ - ミュールアッカー線の建設と運行を認められることになった。ブルッフザールへの連絡は1853年に開通した。
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