関脇力士を倒す
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 08:20 UTC 版)
明治31年(1898年)、山梨県警察部に転じ、同県巡査教習所教師となる。明治36年(1903年)、東京相撲の横綱・常陸山一行が地方巡業で甲府に訪れた。常陸山は北辰一刀流・内藤高治の甥で、剣道に関心を持っていたことから、甲府警察署の稽古を見学に来た。このとき、関脇・稲川が善三郎と勝負したいと言い出し、「稲川の竹刀が善三郎に触れたら稲川の勝ち。善三郎が稲川を倒したら善三郎の勝ち」という条件で試合する。善三郎は稲川の支度を手伝う際に面紐をきつく締め、息がつまるようにした。試合が始まるや稲川の振り回す竹刀をことごとくかわし、息のつまった稲川を足絡みで倒し、首を捻りつけて勝った。
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