門三佐博
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/25 12:34 UTC 版)
門 三佐博(かど みさひろ[1][2]、1936年-2025年 )は、日本の政治家。自由民主党所属。和歌山県議会議員 (10期)、同議長、同副議長を歴任。旭日中綬章受章。元衆議院議員・門博文の父[3]。
来歴
和歌山県伊都郡かつらぎ町出身[2]。和歌山県立笠田高校卒業[1]。1975年 和歌山県議会議員選挙で初当選[4]。1986年7月から翌年4月まで県議会副議長[5][6]。
1989年7月 西本長浩の後任として県議会議長に就任[7]。1990年7月 岸本光造を後任として議長を退任[8]。2003年和歌山県議会議員選挙では伊都郡選挙区 (定数3) でトップ当選[9]。
2007年和歌山県議会議員選挙では同選挙区 (定数2) で無投票当選[10]。2011年和歌山県議会議員選挙では同選挙区 (定数1) で無投票当選[11]。県議を計10期務めて政治家引退[4]。
2025年8月19日、急性心不全のため、死去。
人物
功績・逸話
2022年1月 道の駅くしがきの里に国道480号の鍋谷トンネル建設や地域経済に発展に貢献したとして門の顕彰碑が建立され除幕式が行われた。式典には自民党の元幹事長・二階俊博、かつらぎ町長の中阪雅則、大阪府和泉市長の辻宏康らが出席した[4]。
政策
- 交通体系の整備[2]
- 地場産業の振興[2]
- 農業の活性化と試験研究機関の充実[2]
- 山村地域の自立、活性化推進[2]
- 企業の誘致による雇用の拡大[2]
- 青少年の健全育成と婦人の声を県政へ[2]
- 和医大紀北分院の一層の整備拡充[2]
- 高齢者並びに、心身障害者対策と心の通う福祉行政[2]
- 同和問題の早期完全解決[2]
- 教育、文化、スポーツの振興[2]
栄典
脚注
- ^ a b c 『全国議員要覧 昭和53年度版』774頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年8月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『選挙の記録 昭和62年』45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年8月7日閲覧。
- ^ “二階氏「愛弟子」VS細川政権の防衛庁長官・故中西氏「秘蔵っ子」 保守票めぐり熾烈な戦い 和歌山1区”. 産経新聞 (2017年10月17日). 2025年8月2日閲覧。
- ^ a b c “郷土発展に貢献、門三佐博・元県議の顕彰碑建立・除幕♡二階・幹事長ら約50人が活躍讃える”. 橋本新聞 (2022年3月4日). 2025年8月2日閲覧。
- ^ 昭和61年 1986年7月26日付 官報 本紙 第17835号 10頁
- ^ 昭和62年 1987年5月28日付 官報 本紙 第18080号 12頁
- ^ 平成元年 1989年7月13日付 官報 本紙 第140号 9頁
- ^ 平成2年 1990年7月25日付 官報 本紙 第423号 11頁
- ^ “和歌山県議会議員選挙伊都郡選挙区”. 選挙ドットコム. 2025年8月2日閲覧。
- ^ “和歌山県議会議員選挙伊都郡選挙区”. 選挙ドットコム. 2025年8月2日閲覧。
- ^ “和歌山県議会議員選挙伊都郡選挙区”. 選挙ドットコム. 2025年8月2日閲覧。
- ^ 平成8年 1996年4月30日付 官報 号外 第108号 20頁
- ^ “平成28年秋の叙勲 勲章受章者名簿” (PDF). 総務省. p. 1. 2025年8月2日閲覧。
参考文献
- 『全国議員要覧 昭和53年度版』行政広報調査会、1978年。
- 『選挙の記録 昭和62年』和歌山県選挙管理委員会、1987年。
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