門の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 10:07 UTC 版)
ヤッフォ門 ヤッフォ門の隣の壁には裂け目がある。これは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の側近のために開けられたものである。側面に小さな門が付いている古代ローマ時代の大門は、ダマスカス門の通りよりも低いところで見ることが出来る。 ライオン門 スレイマン1世の夢見に因むという伝説がある。それによれば、彼はもし旧市街の市壁を再建しなければ、ライオンに食べられてしまうという夢を見たとされる。彼はこのことを記念して、門のひとつに二頭のライオンを刻むよう命じたという。これらの獅子は今日でも見ることが出来る。 新門 新門は1889年に遡るものである。この年に、フランス人のカトリック聖職者が、スルタンのアブデュルハミト2世に、キリスト教徒街区へのアクセスを容易にするために、聖母修道院の向かい側の壁を切り開くよう頼んだのである。 エルサレムが東西に分断されていた19年間は、新門はブロックされ、そこにヨルダンの軍事前哨拠点が築かれた。 フルダ門 フルダ門群と呼ばれる一連の閉鎖された門が南の壁の発掘現場から見ることができる。ヘロデ王の時代に遡るこれらの門(単門、二重門、三重門)は、第二神殿を訪れた巡礼者たちに使われた。 これらの門は十字軍の時代にまで市壁にあり、神殿の丘の地下に繋がっていた。その一つが神殿建造物に入るのに使われ、残りは出るのに使われた。 今日、神殿の丘にはBab el-Kattaninのような旧市街内部の門からもアクセスできる。
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