長野県茅野高等学校
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長野県茅野高等学校 | |
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北緯35度59分24.1秒 東経138度9分46.6秒 / 北緯35.990028度 東経138.162944度座標: 北緯35度59分24.1秒 東経138度9分46.6秒 / 北緯35.990028度 東経138.162944度 | |
過去の名称 |
永明村立長野県永明高等家政女学校 長野県永明高等女学校 組合立長野県永明高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
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学区 | 第3通学区 |
設立年月日 | 1942年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学校コード | D120221400014 |
高校コード | 20144J |
所在地 | 〒391-8511 |
長野県茅野市宮川11395 | |
外部リンク | 茅野高等学校公式サイト |
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長野県茅野高等学校(ながのけん ちのこうとうがっこう)は、長野県茅野市宮川にある公立高等学校。
文化祭は「石楠花祭」と称し、その名称は校章に由来する。かつては進学校として知られていたが、現在は地元に根ざした教育を行っている。
沿革
- 1942年4月1日 - 永明村立長野県永明高等家政女学校として開校。
- 1943年4月1日 - 実業学校令の廃止、中等学校令の発布により長野県永明高等女学校に改称。
- 1948年4月1日 - 学制改革により、組合立長野県永明高等学校となる。普通科、被服科を設置。
- 1948年5月17日 - 定時制課程を併設。(中心校、玉川分校、豊平分校、北山分校)
- 1949年4月1日 - 県立に移管。
- 1952年9月20日 - 北山、湖東分校を合併し、花蒔分校を設置。
- 1957年3月31日 - 泉野・豊平両分校を廃止し、玉川・花蒔両分校に統合。
- 1959年4月1日 - 長野県茅野高等学校に改称。
- 1964年3月31日 - 玉川分校を中心校に統合。
- 1966年4月1日 - 花蒔分校募集停止。
- 1967年4月1日 - 被服科募集停止
- 1981年4月1日 - 定時制を廃止。
- 2003年4月1日 - コース制改編。(福祉健康、総合教養、進学)
学科
- 普通科
- 進学・就職・専門学校など幅広い進路に対応。
- 一人ひとりの将来に合わせた指導体制が整っている。
※かつては体育コースを設置し、運動部強化に力を入れていた(現在は廃止)。
進学実績
- 地元の大学(諏訪東京理科大学、松本大学など)や私立大学(東洋大学、神田外国語大学、武蔵野音楽大学、山梨学院大学など)への進学実績あり。
- 短期大学・専門学校(看護、観光、ホテル、情報系)への進学、地元企業への就職。
- 過去には国公立大学への合格者もいたが、近年は短期大学、専門学校、就職の割合が高い。
部活動
- 吹奏楽部:
- 過去に東海大会出場を果たした名門。
- 単独及び合同の部でそれぞれ県代表を果たしているが、現在は部員数も減り単独でのコンクールは参加していない年もある。
- 現在も地域イベントなどで活動を続けている。
- 卒業生では現在も演奏家として活躍する者もいる。
- 運動部:
- スケート部、陸上部、野球部がかつて強豪。
- 体育コースの設置により、多くの県大会出場者を輩出した歴史を持つ。
制服
- かつて森英恵デザインの制服が採用されていたことがあった。
教育目標
- 共に生きる力を養う。
- 夢をかなえる力を鍛える。
- 地域の理解。
出身者
校章
- 「石楠花」に「高」の文字(茅野市出身の彫刻家、矢崎虎夫の考案。高山植物の「石楠花」の葉八枚をかたどり、深山幽谷に育つ「石楠花」の純潔高雅[1]を表している。1948年(昭和23年)6月10日制定[2]。
校歌・応援歌
最寄駅
学校周辺
- 長野県道196号神ノ原青柳停車場線
- 茅野市立宮川小学校
- 茅野市立長峰中学校
- 茅野市運動公園
- 茅野市図書館
脚注
- ^ コトバンクデジタル大辞泉の解説 高雅とは参照
- ^ 茅野高等学校公式サイト学校案内の校歌校章の節参照
関連項目
- 茅野市の教育・研究機関
- 長野県高等学校一覧
- 旧制中等教育学校の一覧 (長野県)
- 廃校になった茅野高等学校の分校-長野県高等学校の廃校一覧
- 宮川村 (長野県)
- 牛山初男 永明高等家政女学校時代教壇に立つ
- 浜栄助 永明高等学校時代教壇に立つ
外部リンク
固有名詞の分類
- 長野県茅野高等学校のページへのリンク