長畝4号墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 22:14 UTC 版)
2号墳、3号墳と異なり、等高線が墳形をあらわし、東側に周溝も認められる。このことより、直径10.1メートルの円墳であり、周溝をふくめると長径13.6メートル、短径11.6メートルのやや楕円形となる。また、周溝の延長上の西側に平場が設けられており、平場からみて墳丘付け根部分に不整形土坑、さらに不整形土坑の両側に柱穴2基を検出している。これらは、墓前祭祀にかかわる一連の遺構と考えられる。 主体部は、竪穴系横口石室の影響の認められる初期横穴式石室となっており、玄室に5段、羨道に3段の石積みをのこしている。天井石は失われていた。副葬品は、有蓋の高坏5、長頸壺1、短頸壺1、広口壺3、グラス形土器1(いずれも須恵器)が玄室入り口付近より、鉄鏃36、須恵器長頸壺1、同短頸壺1、鉄製鍬先1、鉄鎌1、鉄斧1、馬具(轡)1、管玉・練玉・ガラス小玉・ソロバン玉など玉類(計41)、銀製耳飾り1、刀子3が玄室奥壁および奥壁と棺の間周辺より見つかった。須恵器は在地生産の可能性が高く、窯業生産開始の点からも注目される。 出土遺物、検出遺構の特徴から6世紀の第2四半期が考えられる。墓前祭祀は6世紀末葉から7世紀初頭まで継続したものと考えられる。
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