長生殿の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:23 UTC 版)
綾部にある本宮山はご神体であり、出口王仁三郎は神仕組みの重要な社として戦前において神殿の建設を進めていた。しかし、大正10年(1921年)7月に本宮山神殿が完成するも同年、第一次大本事件で破却された。昭和10年(1935年)には長生殿斧始祭を行うが同年、第二次大本事件で土台がダイナマイトにより破壊された。それらを目の当たりにしていた出口直日は、長生殿の建設を心に秘めていた。 戦後、教団の再建が進む中、本宮山の麓の地を綾部市の厚意により譲受け、昭和61年(1986年)2月3日に長生殿の木遣りの儀を挙行、平成元年(1989年)5月5日には上棟祭までこぎつけたが、直日は長生殿の完成を見ることなく平成2年(1990年)9月に逝去した。完成後の平成4年(1992年)5月4日、四代教主・出口聖子により遷座祭が行われた。本宮山は禁足地となった。
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