長崎、江戸遊学
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文化14年(1817年)、長州藩士高杉春明の三男として生まれた。高杉家は先に養子晴豊を迎え、孫高杉小忠太も生まれていたため、八組士田上平兵衛(200石)の養子に出された。 藩校明倫館で学んだ後、長崎聞役として長崎に遊学し、蘭学、西洋軍学を学んだ。 弘化4年(1847年)江戸に出て、9月20日伊東玄朴の象先堂に入門し、間もなく塾監として塾生を監督した。嘉永3年(1850年)2月13日翻訳掛を命じられ、ヴィレム・ベースヘル著『下級士官用砲術学入門』 (Handleiding, vooronderofficieren, tot de kennis der theoretische en practische wetenschappen der artillerie) を訳し、佐賀藩の長崎砲台建設に当たり参照された。また、長崎県立長崎図書館青方文庫に、嘉永2年(1849年)8月ハンオーフル砲術書他を元に著したという「海岸砲台略説」が現存する。 嘉永4年(1851年)5月12日、江戸に来た吉田松陰を迎え、佐久間象山を紹介した。
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