長尾山古墳の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/24 03:38 UTC 版)
1957年(昭和32年)の冬季、石野博信率いる関西学院大学考古学研究会は、長尾山丘陵の古墳分布調査の一環として山本駅近辺で調査を行っていた。山本駅周辺の丘陵地帯は古墳が比較的少なく、雪がちらつく中、丘陵の上り下りを繰り返す調査の士気は上がらなかった。隊長の石野は皆を奮い立たせようと「前方後円墳でも見つけたらビールを飲もう!」と提案した。すると調査をしていた向かい側の尾根に前方後円墳らしきものがあるのを見つけた。まさかとは思いつつ向かい側の尾根に駆け上がってみたところ、前方後円墳らしき場所はたまたま木が少なく、埴輪の破片と葺石が確認され、後円部と考えられる尾根が人工的に断ち切られていると考えられる形状をしており、後円部中央と考えられる場所は埋葬施設と判断できる粘土質の土が長方形に盛り上がっており、前方部と思われる場所からも埴輪の破片、葺石が確認された。このようにして長尾山古墳が発見され、発見時の調査では古墳時代前期の全長約35メートルの前方後円墳であると推定された。なお、長尾山古墳発見の夜、貴重な古墳発見の感激覚めやらぬ関西学院大学考古学研究会のメンバーの宴席は大いに盛り上がったという。
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