長尾坂の一里塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/29 00:41 UTC 版)
前述のように長尾坂には紀州藩の設けた一里塚があり、玉川玄竜の参詣記『熊野巡覧記』(寛政6年〈1794年〉) によれば、この他に捻木潮見峠間(二二里)、小皆(二三里)の2つの一里塚があったという。長尾坂の一里塚に植えられた松は大木になっていて、旅人の休息場所となっていた。しかし、1875年(明治8年)になって刈り取られ、その後も20年近く大きな根が残っていたが、江川の漁師が焚火漁のための松明にするといって掘り取っていったという。
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