針ノ木小屋
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1929年(昭和4年)富山営林署に認可され、登山案内人組合を結成した百瀬慎太郎が9月に針ノ木峠で整地工事を行い、1930年(昭和5年)7月に針ノ木小屋を完成させた。若山牧水の門下に加えられ慎太郎が遺した言葉「山想えば人恋し 人想えば山恋し」が知られている。1937年(昭和12年)7月に、東久邇宮稔彦王を山小屋に迎えた。第二次世界大戦中休眠状態であった針ノ木小屋は、1955年(昭和30年)に慎太郎の長女百瀬美江の手で再建再開された。その後何度か増築などの改修が行われ、1996年(平成8年)に改修が行われた後、2005年(平成17年)にはバイオトイレが設置された。電気はディーゼル発電機を使用し、水は小屋から300 m程下からポンプにより湧水を汲みあげることにより確保している。
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針ノ木小屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 02:44 UTC 版)
峠には山小屋の針ノ木小屋が設置されている。主に登山シーズン中に営業されている。 詳細は「針ノ木岳#登山」を参照
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