金沢市立菊川町小学校とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 金沢市立菊川町小学校の意味・解説 

金沢市立菊川町小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/08 05:56 UTC 版)

金沢市立菊川町小学校
北緯36度33分0.367秒 東経136度39分43.0秒 / 北緯36.55010194度 東経136.661944度 / 36.55010194; 136.661944座標: 北緯36度33分0.367秒 東経136度39分43.0秒 / 北緯36.55010194度 東経136.661944度 / 36.55010194; 136.661944
過去の名称 金沢市菊川町尋常小学校
金沢市菊川町尋常高等小学校
金沢市菊川町尋常小学校(2代)
金沢市菊川町国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 金沢市
設立年月日 1914年大正3年)7月[1]
閉校年月日 2019年3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
校地面積 8,973[2] m2
校舎面積 5,299[2] m2
所在地 920-0967
石川県金沢市菊川1丁目2番15号
外部リンク 金沢市立菊川町小学校ホームページ(2019年5月9日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

金沢市立菊川町小学校(かなざわしりつ きくがわちょうしょうがっこう、英語: Kanazawa Municipal Kikugawacho Elementary School)は、かつて石川県金沢市に所在した公立小学校

沿革

1914年開校[3]。児童数減少を受けて2018年6月に金沢市立新竪町小学校との統合が決定された。両校の校舎が新耐震基準[注釈 1]を満たさないことから、新竪町小学校に暫定校舎を設置して[注釈 2]、菊川町小学校の跡地に新校舎を建設する方針が採用された[5]。2019年3月に閉校し、4月に金沢市立犀桜小学校が新設された[3]

年表

《主要な出典:[6]

  • 1914年大正03年)
    • 7月25日 - 金沢市菊川町尋常小学校創立[7]
    • 8月25日 - 校舎新築。総工費3万5823円[7]
    • 9月1日 - 授業開始。
    • 9月12日 - 開校式を挙行[7]
  • 1915年(大正04年)7月9日 - 生活困窮家庭児童のための夜間特別学級を設置(修業年限4年)[8][注釈 3]
  • 1924年(大正13年)
    • 1月26日 - 校旗樹立。
    • 4月1日 - 高等科を併設、金沢市菊川町尋常高等小学校と改称[11]
  • 1933年昭和08年)
    • 4月1日 - 高等科廃止により金沢市菊川町尋常小学校(2代)と改称。高等科生徒を小将町高等小学校に移す[12]
    • 9月25日 - 創立20周年記念式を挙行。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い、金沢市菊川町国民学校と改称。
  • 1943年(昭和18年)11月9日 - 創立30周年記念式を挙行。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により金沢市立菊川町小学校と改称。所在地:金沢市菊川町22番地[13]
  • 1954年(昭和29年)9月12日 - 校歌制定(作詞:室生犀星、作曲:信時潔[14]
  • 1958年(昭和33年)9月25日 - 校舎改築第1期工事起工式(鉄筋コンクリート4階建)。その後、5期にわたって施工。
  • 1964年(昭和39年)9月12日 - 創立50周年記念式、新校舎竣工式を挙行。5期にわたる総工費1億480万円[15]。所在地:金沢市菊川1丁目2番15号[16]
  • 2013年平成25年)10月12日 - 創立100周年記念式典を挙行[17]
  • 2019年(平成31年)
    • 3月23日 - 閉校式を行う[18]
    • 3月31日 - 菊川町小学校閉校[19]
    • 4月1日 - 金沢市立菊川町小学校を廃止[20]

脚注

注釈

  1. ^ 耐震基準#日本における耐震基準の変遷の項目にある、1981年(昭和56年)6月1日に施行された「建築基準法施行令の一部を改正する政令」において新たに導入された構造基準をいう。
  2. ^ ただし、元金沢市長の山野之義のウェブサイトによれば、本文の「暫定校舎」(山野は「プレハブ校舎」と表記)だけでなく、元々あった新竪町小学校校舎も犀桜小学校の仮校舎として使用されたのが実態のようである[4]
  3. ^ 夜間特別学級は、野町長土塀此花町馬場の各尋常小学校および味噌蔵町尋常高等小学校とともに設置された。特別学級全体の児童数は1920年(大正9年)4月時点で381人であった[8][9]。その後、1925年(大正14年)4月に1か所(校名不詳)に統合された[10]

出典

  1. ^ 金沢市史編さん委員会 編『金沢市史――現代編 続編』金沢市、1989年12月、1235頁。NDLJP:9572073/642 1988年5月時点の学校一覧表参照。
  2. ^ a b 学校施設、児童生徒数、教職員数一覧(『金沢の教育 行政編』38頁)(2019年2月11日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  3. ^ a b 消滅する「校歌」、その運命は? /石川」『毎日新聞』2019年4月25日。オリジナルの2021年7月11日時点におけるアーカイブ。2021年7月5日閲覧。
  4. ^ 金沢市立犀桜小学校校舎新築工事安全祈願祭及び起工式”. 山野ゆきよし日記 (2020年10月2日). 2024年9月20日閲覧。 “現在は、旧新竪町小学校校舎と一部プレハブ校舎にて犀桜小学校の子供たちが学んでいる”
  5. ^ 田中ゑれ奈「石川)新竪町小と菊川町小 犀川小と東浅川小が来春統合」『朝日新聞』2018年6月11日。オリジナルの2018年6月12日時点におけるアーカイブ。2021年7月5日閲覧。
  6. ^ 学校の沿革概要(金沢市立菊川町小学校 旧ホームページ)(2010年8月13日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  7. ^ a b c 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(大正・昭和編)』金沢市、1967年6月、17頁。NDLJP:2994372/13 
  8. ^ a b 金沢の百年 大正・昭和編(1967), p. 23.
  9. ^ 金沢市役所 編『金沢市史――学事編 第4』名著出版、1973年7月、1273頁。NDLJP:9536452/144 
  10. ^ 金沢市史 現代編 下巻(1969), p. 423.
  11. ^ 金沢の百年 大正・昭和編(1967), p. 87.
  12. ^ 金沢の百年 大正・昭和編(1967), p. 159.
  13. ^ 全国学校教育振興会 編『学校年鑑 1959』山陽社、1958年10月、642頁。NDLJP:9524018/334 
  14. ^ 室生犀星 - 校歌”. 室生犀星記念館 公式ウェブサイト. 2024年9月18日閲覧。
  15. ^ 金沢の百年 大正・昭和編(1967), p. 471.
  16. ^ 金沢市史編さん委員会 編『金沢市史――現代編 下巻』金沢市、1969年12月、472頁。NDLJP:9569470/251 1967年4月時点の学校一覧を参照。
  17. ^ トップページ(金沢市立菊川町小学校ホームページ)(2013年11月11日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  18. ^ 閉校式について」『きくがわ』平成31年3月号-2、金沢市立菊川町小学校。 
  19. ^ トップページ(金沢市立菊川町小学校ホームページ)(2019年5月9日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  20. ^ 金沢市学校設置条例の一部を改正する条例」『金沢市公報』号外第28号、金沢市、2018年12月26日、23-24頁。 

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  金沢市立菊川町小学校のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「金沢市立菊川町小学校」の関連用語

金沢市立菊川町小学校のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



金沢市立菊川町小学校のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの金沢市立菊川町小学校 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS