野宮定逸
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野宮定逸(ののみや さだとし、慶長15年(1610年) - 万治2年(1659年)2月15日)は、江戸時代前期の公卿。法名は覚了。
官歴
- 元和8年(1622年):従五位上、兵部大輔
- 寛永3年(1626年):正五位下
- 寛永6年(1629年):従四位下
- 寛永10年(1633年):従四位上
- 寛永13年(1636年):従四位下
- 寛永17年(1640年):従三位
- 正保元年(1644年):正三位
- 正保4年(1647年):権中納言
- 承応元年(1652年):武家伝奏、従二位、権大納言
- 承応2年(1653年):踏歌節会外弁
- 承応3年(1654年):正二位
系譜
- 父:花山院忠長
- 養子:野宮定縁(中院通純の子)
出典
- 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年。
- 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。
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