里見純吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/16 07:30 UTC 版)
里見 純吉(さとみ じゅんきち、1878年(明治11年)7月5日[1] - 1952年(昭和27年)8月3日[1])は、昭和前期の日本の事業家、社会教育家。
- ^ a b c d e f g h 『日本キリスト教歴史人名事典』345頁。
- ^ 舎監のときにグラッドストン伝を出版する。著書の覧参照。
- ^ 里見の道義観として同業他社にやすやすと移転することを潔とせず、最初は断固断った。しかし、大丸社長の下村正太郎の度重なる、熱意ある懇請により入社することになる。その経緯については、下村正太郎「大丸に身を挺して」『大丸二十年史――(附)里見専務訓話集』(社史で見る日本経済史第60巻、ゆまに書房、2013年)の中7「里見専務のこと」および末田智樹「“大丸二十年史”にみる呉服系百貨店の経営精神と経営法」同上書の中5「里見純吉の入社経緯」参照。
- ^ 専務時代の里見の講演をまとめたものに、「里見専務訓話集」『大丸二十年史――(附)里見専務訓話集』(社史で見る日本経済史第60巻、ゆまに書房、2013年)がある。その経営方法については、末田智樹「“大丸二十年史”にみる呉服系百貨店の経営精神と経営法」『大丸二十年史――(附)里見専務訓話集』(社史で見る日本経済史第60巻、ゆまに書房、2013年)の中6「専務里見の経営訓話からわかる百貨店経営法の源流」参照。
- ^ その間に「ロータリー精神の積極的発揚」などを機関誌に寄稿している。
- ^ 本書はイギリス・ビクトリア朝の議会の指導者でディズレーリと並ぶ英雄のグラッドストンの小伝である。
- ^ 本書の表紙タイトルは「創業二百三十四年株式会社大丸設立三十周年記念」である。
- ^ 『店友』は大丸の社内誌である。同誌は後に『てんゆう』となる。同誌の発案は里見によるものと言われている。同号には社内外のあらゆる分野の人72人が追悼文を寄せている。
- ^ 同書内に「建学の精神」「創立者の人物像」がある。
[続きの解説]
- 里見純吉のページへのリンク