酋長たちによる和平協定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 10:22 UTC 版)
「ウォシタ川の戦い」の記事における「酋長たちによる和平協定」の解説
11月初旬までに、ブラック・ケトル・バンドはウォシタ川(インディアン達の呼び名はロッジポール川)で、他のインディアンの野営地に合流した。ブラック・ケトル・バンドは、シャイアン族、アラパホー族、カイオワ族およびカイオワ・アパッチ族の一連の野営地がウォシタ川に沿って16 - 24kmにわたって続く先の、西端に野営した。 ブラック・ケトル・バンドの野営は、他の野営地から数マイル西に離れており、そのそばにはおよそ50のシャイアン族のティーピーと、1つか2つのアラパホー族のティーピー、さらに2つのラコタ・スー族のティーピーが張られていて、住人の総数は約250人だった。1864年のサンドクリークの虐殺で白人から和平協定を破られて以来、唯一ブラック・ケトルと共に留まっていた酋長であるリトル・ロックは、家族とともにこの野営に加わっていた。他にはビッグマン、ウルフ・ルッキング・バック、クラウン、クランキーマン、スカビーマン、ハーフレッグ、ベアタング、およびロールダウンの家族もこの中に含まれていた。ブラック・ケトルの野営からウォシタ川を下ると、川は大きなU字形に北に曲がっていた。その北側にはリトル・レイブン、ビッグマウス、イエローベアー、およびスポッティド・ウルフのアラパホー族野営地があり、約180のティーピーがあった。 アラパホー族もシャイアン族も、コロラド州のデンバー周辺の伝統的な領土を合衆国から奪われ、この地にやむなく移動してきていた。デンバーでは金鉱が発見されたので、白人はインディアンを追いだすために、インディアンの頭の皮に25ドルという高額賞金を懸けて、彼らの徹底駆除を図っていたのである。 川の湾曲部頂点では、メディシン・アロウズの下にリトル・ローブ、サンドヒル、ストーンカーフ、オールド・リトル・ウルフ(ビッグジェイク)や、およびブラック・ホワイトマンのバンドも含めた、シャイアン族の一大野営地があった。またその近くにはオールド・ワールウィンド酋長のバンドからなるシャイアン族の小さな野営もあった。この2つのシャイアン族野営には、合わせて129のティーピーがあり、リトル・レイブンのアラパホー族野営地からはU字形の南東にあり、キッキング・バードがいる小さなカイオワ族野営地の西にあった(カイオワ族の酋長であるサタンタ、ローンウルフおよびブラックイーグルたちのバンドはその野営をコブ砦のある地域に移していた)。さらに下流にはコマンチ族とカイオワ・アパッチ族の野営地があった。全体では約6,000人のインディアンがウォシタ川上流の冬季避寒地にいた。
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