都留郡の地理的特徴と「都留」地名の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 07:27 UTC 版)
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律令制下において甲斐国には山梨郡、八代郡、巨麻郡(巨摩郡)、都留郡の4郡が設置されるが、甲府盆地の国中地方に位置する前3郡に対し、都留郡は甲斐東部の郡内地方に位置する。『和名類聚抄』(以下『和名抄』)では「豆留」と訓じられ、山梨・八代・巨麻に次いで最後に記載され、管郷は相模郷(左加无野)、古郡郷、福地郷(布久知)、多良郷(太波野)、加美郷、征茂郷、都留郷の7郷を記している(カッコ内は高山寺本での表記、また高山寺本では加美以下3郷を欠く)。 西を山梨・八代両郡に接し、東は相模国・武蔵国と接する。古代の人口ははじめ郡域東部に偏在しており、相模川(桂川)に沿って徐々に西部が開拓されていったと考えられていることから郡域西部には変動があり、また八代郡と接する西南部の富士北麓地域も富士山噴火の影響で郡境の未確定地域があった。相模川水系を通じて相模国と密接な関係にあり、相模との国境は平安時代に策定されるまで同様に変動があった。 郡域の大半が山地で、相模川やその支流域に小平野が分布する地理的特徴から旧石器・縄文時代の遺跡が数多く分布しており、早くから人々が定住していたものの、甲府盆地と比べて平野部に乏しいため弥生時代以降の遺跡は少ない。古墳時代には曽根丘陵を中心にヤマト王権の影響を受けた大型古墳が展開し、古代にも中央と関係を持った有力豪族が活動した国中地方に対し、郡域では相模川および支流域の小平野に中小規模の古墳や集落が分布する程度である。また、考古学的にも古墳時代から古代まで相模川を通じた相模国など関東地方の文化的影響が強いことが指摘されている。
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