郷土史古典の活字化・出版
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「得能正通」の記事における「郷土史古典の活字化・出版」の解説
郷土史古典の活字化にも多大なる貢献をした。 福山藩主阿部正精の命により菅茶山が編纂した『福山志料』の活字化、出版を行った。1909年(明治42年)2月12日に阿部伯爵家の事務を司った福山町晩翠社に至り、原本の借用について依頼の交渉を行った。6月25日に原本貸付と謄写について許可を得た。10月15日には1巻~11巻までを印刷会社に入稿(残りも後日入稿)し、翌年の1910年(明治43年)4月30日に自費出版を行った。 福山藩士宮原直倁の『備陽六郡誌』、馬屋原呂平の『西備名区』の大著などを『備後叢書』(びんごそうしょ)にまとめた。その作業はすべて独力で原本を解読、活字化する大変な仕事であった。日記に1927年(昭和2年)7月に初めて備後叢書のことが記載され、こののち数年にわたり備後叢書に関する記事が毎日のように記されるなど、精魂をかけた一大事業であった。
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