郷土のために
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 22:24 UTC 版)
東京遊学中に郷土人の雲城会に入会し、「その大きな庇護の翼の下に安んじて東京生活を実に幸福に送ったことで、雲城の細胞として大きい使命を感じる」と言って官界へ進出した成三は、常に郷土のために働いた。特に「官界ではすぐれた先輩が若狭に少ないので、郷土発展の基礎は人物にある」ことを強調し、「郷土人に対する真の教育、特に郷土を背負う青少年がまじめに生き、大きな理想に向かって真念と覇気を持つよう不断の教育が必要である」と考えていた。そのため、東京在住中は郷土出身者の会である雲城会の世話をよくし、旧誼会の会長も引き受け、戦後の荒廃の時期にあっても郷土の後輩の面倒をよく見、アルバイトや就職等で成三の世話になった人は数多かった。晩年は大学教授として後輩の指導に専念した。郷土の発展策として、早くから交通の便をよくすることを第一にあげ、道路整備に力を入れ、小浜以外の人が小浜へ来て金を使ってくれるようにしなければならないと説いていたが、現在の若狭では、まだ解決されていない問題であり、成三の先見の明に感服している人も多い。小浜交通株式会社の設立など郷土に残した足跡は大きい。
※この「郷土のために」の解説は、「井手成三」の解説の一部です。
「郷土のために」を含む「井手成三」の記事については、「井手成三」の概要を参照ください。
- 郷土のためにのページへのリンク