郷土の復興
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1902年(明治35年)1月6日、観音寺・別当坊第17世住職となり、寺子屋を開いて学問を奨励する。 1907年(明治40年)3月5日、兵庫県養父郡浅野村・橋本治右衛門の三女・秀子を娶る。この秀子は、「かすみ織」の名手で、橋本家に伝わってきた秘伝の織り方に改良を加え、これを観音寺村の人々に伝授することにより、農閑期や冬の女性の内職を助け、これらの特殊な編み方をした織物が評判となって、遠方から買い付けに来る人々も出た。 地域の復興をはじめ、年来の功が認められ、のち本山より大僧都の位を授けられた。 1940年(昭和15年)8月2日入寂。享年64歳。墓は観音寺歴代住職塋域にある。
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