選手は生涯1代表となった経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 22:29 UTC 版)
「国際Aマッチ」の記事における「選手は生涯1代表となった経緯」の解説
帰化選手#サッカーも、参照。 選手は、先述した重国籍者の例外と国が分離独立した特別な例外を除いて、サッカー、ビーチサッカー、フットサル等FIFAが統括する各代表全てに共通して「原則、生涯1代表」にしかなれない。優れた外国人選手を帰化させて代表強化を図ることは昔からあった。有名な古い例は、1934年第2回イタリアW杯でイタリアが優勝するために、1930年第1回ウルグアイW杯のアルゼンチン代表準優勝メンバーの主力を帰化させて、イタリア代表に加えた例である。イタリア代表は、目論見通りワールドカップ初優勝を遂げた。帰化した選手のうち、オルシは35試合、モンティは18試合にイタリア代表として出場した。 欧州と南米におけるサッカー界の経済格差から、欧州には南米を中心に世界中から欧州クラブでプレーするためあるいは働くために選手が集まるようになり、そのまま欧州各国の代表になる選手も現れた。そのため、深刻な選手流出に悩まされ代表が弱体化することになった南米はFIFAに働きかけ、1962年第7回チリW杯終了後に「選手は生涯1代表」とFIFA規則の代表要件で決定した(厳密には、本人か父が生まれた国以外の代表になることを禁じた)。現在は、「原則、生涯1代表」だが、重国籍者の例外と国が分離独立した特別な例外がある(先述)。 巨額のTVマネーが欧州に流入し、世界のサッカー界の経済格差が顕著になった現在、このFIFA規則の代表要件は、ますます重要性を増している。
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