道徳的運
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:50 UTC 版)
道徳的運の問題とは、一部の人々が、他の人と比べてすべての要因が同じであるが、彼らが道徳的責任を問われるかどうかが変わるように見える環境に生まれ、その環境の中で暮らし、その環境を経験している、という問題である。 例として、以下のような状況的な道徳的運のケースがある。貧しい人は貧しい家庭に生まれ、彼は彼の食べ物を盗むほか、自分自身を生活を成り立たせる方法がない。別の人は非常に裕福な家庭に生まれ、ほとんど何もしなくても十分に食べ物を持ち、食べ物を得るために盗みをはたらく必要はない。このようなとき、貧しい人は金持ちよりも道徳的に非難されるべきだろうか。結局のところ、彼らがそのような状況に生まれたのは彼ら自身のせいではなく、「運」の問題である。関連するもう一つの例として、結果的な道徳的運がある。2人の人物がは不注意な運転など道徳的に責任のある振る舞いをするが、最終的な加害の度合いが不平等であるような例である。一人は歩行者に衝突して死なせるが、もう一人はそうならない。一方のドライバーが死亡事故を引き起こし、もう一方のドライバーは死亡事故を起こさなかったのは、ドライバーの意図的な行動の一部ではない。しかし、見る者のほとんどは、人を殺したドライバーのほうに大きな非難を浴びせる(帰結主義と選択を比較考量して)。 道徳的運の根本的な問題は、私たちが一切コントロールできない要因があることによって、私たちの果たす道徳的責任がどのように変わるのかという点にある。
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