運輸政策審議会答申第7号に基づく計画
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「神奈川東部方面線」の記事における「運輸政策審議会答申第7号に基づく計画」の解説
一方、1981年(昭和56年)12月に神奈川県知事、横浜市長、川崎市長が3首長懇において、新横浜 - 川崎 - 羽田空港の新線構想に合意したと発表した。 詳細は「羽田アクセス線 (新横浜)」を参照 このような背景を踏まえて、 1985年(昭和60年)7月の運輸政策審議会答申第7号において、「二俣川から新横浜を経て大倉山・川崎方面へ至る路線の新設」として、二俣川 - 鶴ヶ峰 - 上菅田町 - 新横浜 - 大倉山、新横浜 - 下末吉 - 川崎が位置づけられた。また、検討路線として川崎 - 臨海部方面が位置づけられた。さらに、「東京急行電鉄東横線の複々線化および目蒲線の改良」として東横線 大倉山 - 多摩川園間の複々線化と目蒲線 多摩川園 - 目黒間の改良、「東京6号線(現 都営地下鉄三田線)および東京7号線(現 東京メトロ南北線)と目黒駅において相互直通運転を行なう」ことが示された。 1997年(平成9年)2月21日に二俣川 - 大倉山間で東海道貨物線の羽沢駅に接続させ、新横浜 - 川崎間を中止する案が、横浜市議会で議論されたが、この時は採用されなかった。翌1998年(平成10年)4月には羽田アクセス協議会が神奈川東部方面線協議会に名称変更した。
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