逮捕後の供述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 19:01 UTC 版)
定は逮捕されると「私は彼を非常に愛していたので、彼のすべてが欲しかった。私たちは正式な夫婦ではなかったので、石田は他の女性から抱きしめられることもできた。私は彼を殺せば、他のどんな女性も二度と彼に決して触ることができないと思い、彼を殺した」と述べた。 なぜ石田の性器を切断したかについては、「私は彼の頭か体と一緒にいたかった。いつも彼のそばにいるためにそれを持っていきたかった」と供述している。 この犯罪の詳細が公表されたときのデマでは、石田の陰茎が驚異的なサイズであると切り出した。しかし逮捕のあと、定に質問した警官はこれを否定した。「石田のモノはちょうど平均であった。私を性的に喜ばせたいというテクニックと奉仕的な愛撫をする石田が好きだった」と定は答えている。定の逮捕後、石田の陰茎と睾丸は東京医科大学の病理学博物館へ送られた。第二次世界大戦後まもなく、一般に公開していたようだ。 1936年(昭和11年)12月21日、東京刑事地方裁判所は定は殺人および死体損壊罪で懲役6年の判決(求刑10年)(未決通算120日)の判決を受け服役。1940年(昭和15年)に「紀元二千六百年」の恩赦で残りの刑期が1/2に減刑され、翌1941年(昭和16年)5月17日に出所した。
※この「逮捕後の供述」の解説は、「阿部定事件」の解説の一部です。
「逮捕後の供述」を含む「阿部定事件」の記事については、「阿部定事件」の概要を参照ください。
- 逮捕後の供述のページへのリンク