連邦最高裁へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 05:14 UTC 版)
「ルース・ベイダー・ギンズバーグ」の記事における「連邦最高裁へ」の解説
1993年、クリントン大統領の在任時に連邦最高裁のホワイト判事が辞任し、その後任として推薦される。ギンズバーグは女性の権利に関してはきわめて進歩的で、妊娠中絶の禁止が女性を差別するものだとしてロー対ウェイド事件判決を支持していた。しかし一方、刑事事件などでは、当時同僚で保守派と目されていたアントニン・スカリア判事などとともに保守的な判決を下していたため、共和党議員が支持しやすいと判断された。夫のマーティンは法律家としての妻を高く評価しており、彼女が最高裁判事にふさわしい人物であることを自らの人脈を通してワシントンの人々にアピールし影響を与えた。 はじめクリントン大統領は政治家の指名を模索しており、法律の仕事以外に就いたことのないギンズバーグの指名にはそれほど乗り気ではなかったとされる。しかし本人と面接したさい、ギンズバーグは若くして亡くした母親のこと、同じガンで落命しそうになった夫のこと、また自分の半生を通じて女性の権利向上に尽くしてきたことを静かに語り、大統領に強い印象を残したと言われる。 そして面接の翌日、クリントン大統領はギンズバーグの判事指名を全米に発表する。議会上院は96対3の投票で任命に同意し、1993年8月10日、ギンズバーグは宣誓を行って連邦最高裁判事に就任した。オコナー判事に次いで女性として二人目、1969年にフォータス判事が辞任して以来はじめてのユダヤ系最高裁判事となった。
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