退屈に負けて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:27 UTC 版)
とはいえ、退屈に負けて外に飛び出していった主人公の物語を追ううちに、われわれは民衆がもっていた別種の願望のようなものにも気づくかもしれない。主人公は自分に降りかかった災いをどうにか克服したのではなくて、自ら冒険に飛び込んだとも言えるのではないだろうか。昔話を聞いたロシアの民衆は、それが誰にでも克服できるわけではない試練の物語だと知りながら、主人公の活躍に喝采を送ったであろう。試練の物語がプロップの言うように古くからの加入儀礼の記憶に根をもっているとすれば、退屈とそこからの克服は人間的営みの根幹に触れる概念なのである。 そう考えてみると、高貴な身分の主人公が退屈を解消するために外出し、身分を隠して庶民と接触し、のちに身分を明かすという、新さんが庶民生活の中で活躍する八代将軍の時代劇『暴れん坊将軍』や、直参旗本早乙女主水之介の物語『旗本退屈男』のプロットの中には、昔話のプロットと共通するところがありながら、相反するところもある。退屈に安住せず冒険に乗り出す主人公たちを見て視聴者は溜飲を下げたであろう。 しかしそこには危機に直面することへの怖れはもはや感じられない。それは発達した都市文化を背景にしてしか成立しない感覚なのである。従って、退屈を前にしてどのように考えるかは、時代的にも社会的にも異なる。 退屈について問うことは、みずからについて問うことである。
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