近世・土井家の菩提寺とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 近世・土井家の菩提寺の意味・解説 

近世・土井家の菩提寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 05:53 UTC 版)

正定寺 (古河市下大野)」の記事における「近世・土井家の菩提寺」の解説

江戸時代になると、寺がある下大野村古河藩になった寛永10年1633年)、土井利勝古河城に入る。利勝は正定寺41世・当誉玄哲を招き古河城下に同名正定寺創建した。利勝は当初浄土宗旧跡」・「浄家の道場(談義所)」である当寺そのまま土井家位牌所にしようと考えたが、城下から遠かったために寺号僧侶を引き移した以後二つ正定寺土井家から同様に扱われ保護される承応3年1654年)には、土井家により本堂山門仁王像修復され山林1町余畝歩寄進されている。貞享3年1686年)、幕府本末制度檀林制度整備にともない檀林となっていた結城弘経寺末寺編入され、一地方寺院位置づけられた。 慶長9年1604年)、古河藩領・鳥喰寺領3石を認められ黒印状受けている。その後朱印状獲得のため、貞享4年1687年)から延享3年1746年)にかけて、たびたび運動した記録残っているが、目的を果たすことはできなかった。なお、宝暦13年1763年)には、黒印地3石を引き続き保持している。

※この「近世・土井家の菩提寺」の解説は、「正定寺 (古河市下大野)」の解説の一部です。
「近世・土井家の菩提寺」を含む「正定寺 (古河市下大野)」の記事については、「正定寺 (古河市下大野)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「近世・土井家の菩提寺」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「近世・土井家の菩提寺」の関連用語

近世・土井家の菩提寺のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



近世・土井家の菩提寺のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの正定寺 (古河市下大野) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS