農村におけるブルジョア革命とプロレタリア革命
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「プロレタリア革命と背教者カウツキー」の記事における「農村におけるブルジョア革命とプロレタリア革命」の解説
ボリシェヴィキ革命の勝利は、君主制と地主的土地所有が完全に破壊されたことを意味した。ブルジョア革命は最後まで遂行された。農民は、全体としてわれわれに追随した。ソヴェトは農民一般を統合した。1918年の夏と秋にはロシア全土に富農の暴動の波がひろまった。ソヴェト共和国は、武装した労働者の部隊を農村へ派遣し、農村に社会主義をもちこみ、貧農を味方にひきつけ、貧農を組織し、啓発し、貧農がブルジョアジーの抵抗を抑圧するのをたすけている。農村においてプロレタリア革命が始まった。 1918年2月6日に交付された土地社会化法は、平等な土地用益を設定した。ボリシェヴィキは、この平等な土地用益の思想を、ブルジョア民主主義革命を最後まで遂行する意義を持つものと評価する。同時に、それが不十分なもので、土地の共同耕作、社会主義へとうつる必要があることを、大衆に訴える。 すべてのエス・エル左派をふくめて、わがナロードニキは、わが国で実施された方策が土地の国有化であることを否定している。彼らは理論的に正しくない。われわれが商品生産と資本主義とのわく内にとどまっているかぎり、土地私有の廃止は、土地の国有化である。ボリシェヴィキはエス・エル左派をたすけてブルジョア民主主義的な土地の国有化を実現した。そのことにより、農業で社会主義へうつる最大の機会をプロレタリア国家にあたえた。
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