車両搬入と飯田橋検車区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 03:09 UTC 版)
「営団5000系電車」の記事における「車両搬入と飯田橋検車区」の解説
開業当初の東西線は地上部がなく他路線との接続もないため、九段下 - 竹橋間(この区間は次期開業予定区間)の本線トンネル上部に搬入口を設置し、クレーン車2台を用いて約11 m下の地下に搬入させた。1964年(昭和39年)10月下旬から12月まで1か月半をかけて搬入させた。 この区間の開業時は地上に車両基地が確保できないため、地下に飯田橋検車区を設置し、この場所で1か月検査・毎日検査(当時の名称。現在は月検査・列車検査と呼称する。)・車両清掃などを実施した。また、同所では車輪転削や車輪交換ができないため、車輪踏面を保護するために最高速度を40 km/hに抑えて運転をしていた。
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