賀川ハルとは? わかりやすく解説

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賀川ハル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/15 05:31 UTC 版)

賀川豊彦(右)とハル(左)

賀川 ハル(かがわ はる、1888年明治21年)3月16日 - 1982年昭和57年)5月5日)は、日本社会運動家キリスト教の社会事業家賀川豊彦の妻である。旧姓は芝。印刷業者の村岡儆三(翻訳家村岡花子の夫)の従姉妹にあたる。

生涯

前列左から長谷川初音平塚らいてう、賀川ハル。後列左から市川房枝奥むめお。1920年3月撮影。

横須賀で芝房吉・むら夫婦の長女として生まれ、15歳で東京女中として奉公に出る。父の転勤で神戸に移り、父親の勤務する福音印刷会社の女子工員として働く。

1911年(明治43年)の夏に、従業員の賛美歌指導に来た賀川豊彦に出会った。1912年大正元年)12月21日にマイアース宣教師より洗礼を受ける。1913年5月27日に豊彦と結婚する。

1914年(大正3年)に豊彦が留学のために渡米すると、共立女子神学校に入学する。夫妻の留守中に、妹の芝フミと武内勝が事業の責任を担う。1917年(大正6年)ハルは神学校を卒業し、新川に戻る。

1921年(大正10年)に女性牧師長谷川初音の発案で覚醒婦人協会を創立する。

1938年昭和13年)に雲柱社の理事になる。

戦後は1956年(昭和31年)から日本基督教婦人矯風会の理事を務め、1960年(昭和35年)の夫豊彦の死後は、イエス団の理事長に就任し、夫の事業を引き継いだ。1977年キリスト教功労者を受賞[1]。墓所は多磨霊園

著書

資料集

脚注

参考文献

  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年

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