買い付けと出荷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 16:27 UTC 版)
「バーレーンの真珠採取業」の記事における「買い付けと出荷」の解説
17世紀以降、クウェート、バーレーン、ハサ(フフーフなどを含むバーレーン対岸のサウジアラビア東部地方)などの真珠は、一度バーレーンのマナーマに集められ、そこからボンベイに出荷された。ボンベイはロンドン、バグダード、トルコなどのヨーロッパや中東の各市場との中継地点の役割を果たした。マナーマはバーレーン周辺の真珠の集積地であり、大きな真珠のコンクールなども行われていた。 そうした役割から、マナーマには真珠商人たちも多く集まっていた。その真珠商人は3種類に大別できた。そのうち、ムサッカムは売買に関わらないで、船長に金を貸し付けるだけの、実質的な金融業者である(船長への貸付は、以下で説明するタージャルやタッワーシュも兼業していた)。タージャルがボンベイに出荷する商人で、店舗を構え、真珠の買取を行なった。タージャルに真珠を持ち込む商人がタッワーシュで、ある程度真珠採取が進んだ頃合に船で繰り出して、海上で採取船から真珠を買い付ける業者である。マナーマにはこのタッワーシュが多く集まり、ボンベイの市況などに関する情報を交換し、それを真珠の買い付けにも活用した。タッワーシュは漁場に繰り出した豪華な船から小舟に乗り換え、漁船を渡り歩いて買い付けた。タッワーシュに求められたのは、表面的に粗悪な真珠でも、磨いたり表面の皮膜を剥ぎ取ったりすることで価値が大きく上がるような真珠を見極めて、できるだけ安く買い叩く鑑定眼だったという。 一般向けの真珠の販売は、かつてのバーレーンでは真珠商人の館や店舗のほか、喫茶店などでも行われていたが、バザールに出回るのは、えてして価値の分からない外国人などに向けた粗悪品だったという。喫茶店などでコーヒーを飲みながら行われる商談は、長々と雑談を重ねた挙句にようやく本題の取引に入るような悠長なものだった。周囲の人々に値段を知られたくない時には、伝統的に布で覆った手の特定部位を指で触れることで値段を示すことも行われたが、その示し方は複雑で、前出のベルグレイヴは商人から教えてもらっても理解できなかったという。
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