販売上の工夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 02:53 UTC 版)
駅弁販売は順調であったが、比護にはまだ未解決の難題として、「冬のお客様に、できるだけ温かい駅弁を届けたい」という思いがあった。冬季に駅弁が冷めるのは日本全国共通の問題だが、札幌は特に冷気が厳しく、駅弁が凍ってしまうことすらあった。毛布で温めたり、客に渡す時間を短縮したりと工夫したが、どれもさほど効果はなかった。 試行錯誤の末に、炊きたての温かい飯と、作り置きの冷めたおかずが一緒になっているために、飯が早く冷めることに気づき、1923年(大正12年)、飯とおかずを分離させて別々に詰める独自の弁当箱「二重折り箱」を考案した。この二重折り箱は、北海道のみならず、日本全国でも注目を浴びた。本州以南では、飯とおかずが箱の中で一緒では、夏季には暑くて腐敗しやすいが、飯と副食が別々の二重折り箱であれば、腐敗を防止し、賞味期限を延ばすことができた。二重折り箱は「札幌方式」とも呼ばれ、日本全国に広まった。 駅弁の中身や箱の他にも、比護は売り子の掛け声を「お弁当にー寿司ー、お茶にお弁当ー」「お寿司にお弁当、お茶ー」と、浪曲語りのような独特の声にすることも考案した。また客の旅行目的を聞いてから、それに合わせた駅弁を売るといった工夫もあった。乗客との会話は、比護にとって何より楽しみになっていた。
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