識と存在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 15:52 UTC 版)
唯識といって、以上のように唯八識のみであるというのは、一切の物事がこの八識を離れないということである。八識のほかに存在(諸法)がないということではない。おおよそ区分して五法(五種類の存在)としている。(1)心、(2)心所、(3)色、(4)不相応、(5)無為である。この前の四つを「事」として、最後を「理」として、五法事理という。 心(心王, citta) - 識それ自体。心の中心体で「八識心王」ともいわれる。 心所 (caitasika) - 識のはたらき。心王に付随して働く細かい心の作用で、さらに6種類に分類し、遍行・別境・善・煩悩・随煩悩・不定(ふじょう)とし、さらに細かく51の心所に分ける。心所有法、心数法とも訳される。 色 (rūpa) - 肉体や事物などのいわゆる物質的なものとして認識される、心と心所の現じたもの。 不相応行 (viprayukta-saṃskāra) - 心と心所と色の分位の差別。心でも物質でもなく、しかも現象を現象たらしめる原理となるもの。 無為 (asaṃskṛta) - 前四法の実性。現象の本質ともいうべき真如。 さらに心を8、心所を51、色を11、不相応行を24、無為を6に分けて別々に想定し、全部で百種に分けることから、五位百法と呼ばれる。なお倶舎論では「五位七十五法」を説いており、それを発展させたものと考えられる。
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