調布の女郎屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 20:57 UTC 版)
1954年に発行された『實話雑誌』(三世社)特別増刊号『全国赤線青線地区総覧』に調布の赤線が紹介されているが、それによると「女給さんは素朴です。別に手練手管もなく、コーヒー一杯でも足しげく通う御仁に愛想もつかさず、地方での女の子が多いところが魅力でしょう」とある。当時の調布の赤線で働く女性は44人で、業者数は13、時間300円、通しで600円 - 800円ほどだった。同時期の新宿では時間400円 - 500円、通しで1500円位であった。比較的のどかな赤線で、「戦後に生まれた新地ですが、アプレ派のでたらめがなく、古い調布の静かな環境が遊子を楽しませるに充分でしょう」と紹介されている。京王線調布駅から甲州街道方面に約10分ほどの距離にあったが、1956年の売春防止法制定以降は、急速に寂れ、現在痕跡はほとんどない。
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