誕生と洗礼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 14:39 UTC 版)
「ハッケボルンのメヒティルト」の記事における「誕生と洗礼」の解説
メヒティルトは1240年または1241年に生まれた。メヒティルトはテューリンゲンにおいて最も高貴で有力な家の一つのハッケボルン(Hackeborn)家出身で、姉は傑出した修道院長で名高いハッケボルンのゲルトルード(Gertrud von Hackeborn)である。ハッケボルン家はテューリンゲンの名門男爵に属し、ホーエンシュタウフェン家と繋がりがあり、テューリンゲン州の北部・ハルツ山地にその領土を持つ。メヒティルデ・フォン・ハッケボルン(Mechtilde von Hackeborn)とメヒティルデ・フォン・ヴィプラ(Mechtilde von Wippra)は2人の異なった人物であると考える著作家もいるが、ハッケボルン男爵はウィプラの領主でもあった。この家は、一族の者に対し家の名前のみ与えるか、または領土の地名の両方を与える習慣があった。そのためこれらの名前は、メヒティルトのそれぞれ別表記と考えることもできる。 出生直後は虚弱で洗礼前に死ぬ可能性もあったメヒティルトは、司祭によってミサの準備が行われている場所へすぐに連れていかれた。その司祭は大変尊厳のある人物であったとの報告がある。そしてこの子、メヒティルトが洗礼を受けた後、その効果があったことと、次のような予言的な声明が司祭からあったとする話もある。 「何を恐れているのだ? この子はほぼ確実に死ぬことはないであろう。しかし彼女は、聖なる宗教家になり、神は彼女に対したくさんの不思議な御業を行うであろう。そして彼女は良き晩年を迎え、生涯を閉じるであろう。」
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