詩作時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 04:39 UTC 版)
「ウォルター・スコット」の記事における「詩作時代」の解説
かつての級友で出版事業を営むジェームズ・バランタイン(英語版)に出版業を勧め、やがて出資者、共同経営者となって、1802年から1803年にかけて『スコットランド歌謡集』全3巻を出版する。1804年にスコットランド旅行中のウィリアム・ワーズワースと知り合い、以後終生の友人となる。弁護士を続けながら、1804年から1812年までシェルカーク州ツイード河畔エトリック・フォレスト(英語版)のアシェスティール(英語版)の農家に住み、1805年に法廷弁護士を辞めて、翌1806年からスコットランド最高民事裁判所の高級書記官となり、生涯にわたって務めた。後にセルカーク州の司法行政長官も務める。 1805年に出版した物語詩『最後の吟遊詩人の歌』がワーズワースを初めとして評価され、名声を高めた。17世紀の詩人ジョン・ドライデンの全集の編集を行いながら、物語詩、叙事詩の創作に力を注ぎ、『マーミオン』『湖上の美人』などを発表する。1811年にアボッツフォードの邸宅(英語版)を購入した。 1813年にヘンリー・ジェイムズ・パイの後を受けて桂冠詩人に擬せられたが、これを辞退して後輩のロバート・サウジーを推薦した。
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