試験放送、サービス放送時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 10:21 UTC 版)
「大阪テレビ放送」の記事における「試験放送、サービス放送時」の解説
1956年10月30日の試験放送開始時、OTVの局アナ第1期のひとりである稲田英子(元・ラジオ三重アナウンサー)はこの日、会社からの緊急電報を受けて呼び出されたが、アナウンスが顔出しであるということを知らされておらず、純白のブラウスと、こげ茶色のスカートを着用して放送に臨んだため、ハレーションを起こし、顔半分が暗く見えてしまう状態となった。 サービス放送は11月1日から開始した。初日に放送された「フィルムポエジー・OTVの塔」は、フィルムの現像がテレビ放送用には暗すぎて失敗。翌日再び調整して放送した。数日ごとに段階を追って、放送時間、番組数などを増やす一方、11月3日には東京六大学野球連盟の試合をラジオ東京から、11月9日にはNTVから、丹頂化粧品協賛の日米野球 読売ジャイアンツ対ブルックリン・ドジャーズの試合をネット放送するなど、営業活動を開始していた。サービス放送最終日にはNTVに向けてプロレス試合番組をネット送出し初売り上げを記録した。
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