記念館建設までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 15:42 UTC 版)
「佛光山佛陀記念館」の記事における「記念館建設までの経緯」の解説
1998年、星雲大師が国際三壇大戒を伝戒しにインドのボードガヤー(釈迦如来の成道の地として知られ、ブッダガヤとも呼ばれる)を訪れた。そのころ、チベットのラマ僧・Kunga Dorje Rinpocheが「佛光山寺は長い間、仏教の普及や漢民族とチベット民族との文化交流に尽力してきた。中華漢藏文化協会を設立したほか、世界仏教顕密会議を主催し、国際佛光会を創設した。佛光山寺こそが人間仏教を発揚する真の道場だ」と感心し、30年近く守ってきた仏牙舎利を星雲に贈呈した。Kunga Dorje Rinpocheは、台湾で記念館を建てて供養することを希望していた。それで正法は永遠不滅であり、舎利は世の中に再び現れます。 佛陀記念館は2003年に定礎式を行い、9年間にわたり工事を終え、2011年12月25日に落成した。 星雲曰く、「仏様には礼拝や供養が必要ではないが、衆生には礼拝や供養という行いを通じて善念を啓発して心を清めることが必要である。仏塔を礼拝することによって仏様の法身と接触し、思慕の念を昇華させ、日常生活の中で仏徳を学んで実践する。仏様には宝塔が必要ではない。けれども、衆生には宝塔が必要である。それ故、宝塔が建てられた」とのこと。
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