託麻郡と託麻村の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/02 07:51 UTC 版)
現在では「託麻」といえば旧託麻村エリアを指し示すことが一般的であるが、もともとの「託麻郡」の範囲は現在認知されている託麻地区だけにとどまらず、同じ東区の健軍はおろか、遠くは中央区の大江や出水、さらに南区の田迎、日吉、元三など、熊本市北東部から南部にかけての大半を占める広域地名であった。そのため現在の託麻の範疇からは外れた地域などでも学校名や通り名などで託麻の地名が使われているパターンが見受けられる。 託麻台地(託麻原) 熊本市立託麻原小学校(新大江) 熊本市立託麻中学校(田迎) 託麻原の合戦(水前寺) 託麻原本通り(渡鹿) 託麻台リハビリテーション病院 また、大江などに存在する複数の学校の校歌にも歌詞に託麻(託麻原)の地名が詠みこまれている他、熊本学園大学の学園祭の名称も「託麻祭」と呼ばれている。 現在(狭義)の託麻地域の由来となった託麻村は1955年、広畑村・小山戸島村・供合村の3村合併のときに旧郡名から採った名称である。1955年の時点で旧託麻郡域はこの3村を除いて全て熊本市に吸収されていたため、旧郡名を村名に使うことが唯一可能であった。なお、2012年の熊本市の政令指定都市移行に関して、新たに設置される東部の区(区の範囲は託麻地区から健軍にかけて)の区名候補の1つとして「託麻区」もノミネートされたが、最終的には東区が採用されている。
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