託宣の巫女説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 14:52 UTC 版)
『古事記』の解釈はさらにわかれる。折口信夫の解釈によれば、飯豊皇女は巫女であるか、ないしはそれに近い神秘的な人物であり、執政していたのではなく、清寧天皇崩御後に、巫女として「誰に皇位についてもらうべきか」と神託を仰がれて、その段階ではまだ発見されていなかった億計尊・弘計尊の兄弟の名を託宣したのだという。 ただし、神功皇后や倭姫王などの例があるように、古代の女性皇族で巫女的な資質をもっていた人がいてもまったく不思議ではないが、記紀をみる限り、飯豊女王について巫女的な要素が直接うかがわれるような記述があるわけではなく、あまり巫女的な面を強調しすぎることには慎重であるべきとする説もある。 (巫女ではなく巫の項、およびシャーマニズムの項を参照)
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