言語学からの探求
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:28 UTC 版)
「インド・ヨーロッパ語族」の記事における「言語学からの探求」の解説
原郷問題についてまとまった著作をはじめて発表したのはアドルフ・ピクテ(英語版)であった。風間によれば、当時は研究の黎明期にあってインド学が充実しておらず、ピクテはサンスクリットがあらゆる点で古い形を保っていると誤解していた。風間によればこうしたアジアを理想化する偏った見方はピクテに限らず先に触れたシュレーゲルなど十九世紀前半に著しく見られるといい、ピクテは原郷として古代のバクトリアにあたるアムダリア川中流域を想定して東方説(アジア説)の端緒となった。 アジア説を批判してヨーロッパ説を導入した初期の代表的な人物に、サンスクリットを専門とするテーオドール・ベンファイがいる。ベンファイは、印欧諸語でライオン(あるいは大型肉食獣)を指す言葉がそれぞれ独立していて共通の語源を想定できないことを論拠にライオンの生息域を排したが、こじつけた感があり当時から注目を受けなかった。現代においては、ヨーロッパがライオンの生息域であった可能性と、印欧祖語の語彙にライオンが含まれているとする主張の両方から批判を受ける形となり、成立しない議論と考えられている。
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